ニーチェになりたい男のたわごと

日々の日常の事とか

第二十三回目 僕にとっては可能性という言葉がもどかしく感じてしまう...

どうも、超人太郎です。

 

 

現代とは常に変化していて、また常に可能性に満ちている。

そんな気がしている今日この頃です。

 

 

 

常々思っていたことがあります。

 

「何故自分の人生に満足出来ないのだろうか」

 

僕は心の片隅に、常に現状を変えていかなければいけないという焦りに似た気持ちを抱えている。

 

その気持ちはおそらく自分の人生にもどかしさを感じているからだろう。

 

 

現代はありがたいことに、とにかく最初から何でも色々なものが揃っている。

 

様々な食べ物、様々な仕事、様々な娯楽、様々な人々。

 

現代はありとあらゆる物質的な豊かさに富んでいる。

 

 

ひと昔前では食べることにも、仕事にありつくのも、ましてや娯楽にふけることも、人が健康に生まれて長く生きることも難しい時代があった。

 

私たち現代人は昔の人々よりも、明らかに暮らしやすい環境に置かれている。

 

にも拘わらず、今持っているモノよりもさらにより良いモノを欲する気持ちが湧いてしまう。

 

 

そんな気持ちが湧いてしまう自分に嫌気がする。

 

本当は何かを欲しいと思う前に、今自分が持っているものを見つめ直してそこに価値を見出していきたい。

 

 

そしてなによりも、現代に生きているという大きなチャンスを生かして自分の人生を楽しんでいたい。

 

 

とは思っていても、自分は結局何も行動は出来ていない。

 

こんなことがいつも変わらず繰り返される、本当にもどかしい気持ちです。

 

いつも見ている視点を変えて、新しいところに目を向けなればいけないのでしょう。

 

 

ひと昔前は紙や絵の具が高価な時代があった。

昔の人々はそれでも絵を描き、アートを楽しもうとした。

でも絵を描く職業につけたのは一握りの才能ある人か、家柄が良かった人だけでしょう。

 

現代はどうでしょうか。

モノに溢れている今は紙や絵の具は容易に手に入り、描こうと思えば誰でも気軽に絵は描けることでしょう。

このことを視点を変えて見ると、現代は誰しも絵を描くアーティストになれる可能性が昔の人よりも格段に高いと言えると思います。

別にアーティストだけに限らずとも、色々な職業になれる可能性に溢れていると思います。

先人たちが未来を見据えて、豊かでより良い世界を作ろうと奮闘してくれたからころ成せる恩恵でしょう。

 

これは言うならば、現代人には先人たちが残してくれた恩恵を最大限に生かすことが出来る可能性に満ち満ちていると言えるのではないでしょうか。

 

先人たちが現代に残してくれた遺産を生かすも殺すもどうするかは、我々現代人に託されたいわば宿題とでもいいましょうか。

 

 

これだけ豊かな時代が故に、好きなことを仕事にしたり、全く新しいことを生み出したり、人との関わりを大事にしたり、それら自分のやりたいことに集中が出来る時代だと思います。

 

思うに、この豊かな時代の構造は一種の芸術的なモノだと考えています。

 

 

これからの時代は、我々一人一人の持つ自身のアーティスト性に委ねられているんだろうと思います。

 

個性や才能、生まれた環境などは人それぞれ違う。

その違いこそが自身の持つアーティスト性に等しいモノだと思います。

 

 

 

何が出来るのか、何を生み出すことが出来るのか、全ては可能性で溢れている。

 

 

今日はこの辺で終わりにさせて貰います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。