どうも、超人太郎です。
今回は前回からの続きです。
まだ前回を見ていない方はこちら
前回デール・カーネギーの「人を動かす」を引用しつつ、悩みの原因は人間関係に由来し、自分自身にばかり関心を向けるのではなく周囲の人に「誠実な関心を寄せる」ことをしましょうと述べました。
これは悩みが尽きない理由の一つ目の「良い人間関係の構築」をしていないに関してのことでしたね。
そして今回、悩みの原因の二つ目の理由「人と関わっていく上で、自分は誰かに対して何が出来るの人なのか」をどう認識しているか。
これについて話していこうと思います。
結論を先に申しますと「自己に対して重要感を得られていると感じていないから」悩んでしまったりすると考えています。
ここからさらにより詳しく解説していきます。
その前に皆さんにお聞きしたいことがあります。
あなたは人との関わりの中で、目立ちたいとか重要な人物と思われたい、人に必要とされたいと思ったことはありませんか?
もし、そう思っていたとしても何も問題はありません。
そう思っている人のほうが多いと思います。
ただ、その感情によってあなたが日頃どんな行動をしているかで、今回話す内容の重要性は変わります。
ぜひ最後まで読んでみてください。
さて、では本題へと行きましょう。
あなたは上で述べた感情から、自分という存在をいかに凄い人物であるかを知らしめるために自分の事ばかり話してはいないでしょうか?
例えば、自慢話をするとか自分の成し遂げた功績などを話したり、あるいは自分の社会的地位をひけらかしたり等です。
こいうことやっていたりしませんか?
やっているのだとしたら、それは何も効果が出ていないと言わざるを得ないかもしれません。
その理由について今回もデール・カーネギーの知恵を借りたいと思います。
まず「人を動かす」でカーネギーはこうも言っていました。
「自分の重要性を相手に示したいのなら、まずは相手に重要感を持たせることだ」
これは僕なりにかみ砕いた言葉にしたものです。
「相手に重要感を持たせる」とは具体的に何をしたらいいのでしょうか?
これについてもカーネギーは至極簡単な答えを教えてくれています。
それは「自分が聞き手にまわる」ことです。
ついつい、自分というものを知らしめるために相手の事などお構いなしに自分の話ばりかしてしまう。
それは人類の歴史上で、人間が人間社会の営みの中で培ってきた本能的な部分だと言えます。
ですが、その本能的な部分をあえて抑えて「聞き手にまわる」ことをしなさいとカーネギーは言っているのだと僕は感じました。
でなければ相手に自分の重要性を持たせることは叶わずに、むしろ相手から敬遠されてしまうと思います。
なぜなら相手もまた自分と同じく、重要性を示したいのだから。
それは、いわば本能と本能のぶつかり合いとでもいいましょうか。
その状態も人間という生物で考えたら、それもまた自然なことなのかもしれません。
ですが、こと相手に自分の重要性を示したいのであれば、自分は一歩下がり「聞き手にまわる」ことをしてみてはいかがでしょうか?
そうすることで相手はあなたに心行くまで話をしてくれて、なおかつ気の許せる仲になれたりするかもしれません。
そうなれたら相手はあなたの事を必要な存在だと思ってくれたり、貴方はあなたで必要とされることで自己の重要感を得られる。
その状態はまさに互いが互いを重要視している状態であると言えます。
僕の考えをさらに付け加えるなら、人と関わっている時の自分の姿勢は=自分が何者であるかを相手に示してるのと同じだとも考えています。
ここまでカーネギーの知恵を借りて「聞き手にまわる」ことの重要性を説いてきましたが、これが始めの「人と関わっていく上で、自分は誰かに対して何が出来る人なのか」にどう結び付くのか解説したいと思います。
まず、人は一人では生きてはいけない存在であるという前提で話していきます。
なら人々は互いに共存してこその、人一人の人生があると言えます。
では共存とはどんな状態でしょうか?
僕の考える共存とは人々が「自己の重要性を示しあえる状態」であると考えます。
互いが互いを必要としあい尊重しあい、誰一人として欠けてはならない価値ある人間なのだと再認識していく。
このことを忘れてはいけないのだと、そしてこの気持ちを互いに共有しあえる、その状態こそ自分を含めた互いという名の自己の重要性を高めることであると認識しているか?
その気持ちの心を絶やさずに人と関わりあうことこそ、先の理由の「自分が誰かに対して何が出来る人」なのかに対する答えだと言えると思います。
自分の重要性を示そうと、つい誰かをないがしろにしてしまってはいないでしょうか?
そうであるならまずは、カーネギーの言っていた「相手に重要感を持たせる」ために時には聞き手に回ってみてもいいでしょう。
他にも自分は何が出来るのか、今一度考え直してみてはいかがでしょう。
そういう事から人生は少しずつ変わって行けるものだと僕は思います。
part1,part2と分けて、なぜ悩んでしまうのかについて長々とここまで書いてきましたが、結局のところ根本的な悩みの解消はできないと思います。
出来ないのですが、上で挙げたマインドをあなたなりに応用すると、他者がいかに必要な存在であるか、なによりも自分自身がいかに大事な存在であるか新たな視点での発見があるものと思います。
また結論の「自己に対して重要感を得られていないから」悩んでしまうということにも、通ずるものであると思います。
時には立ち止まって悩むのもいいでしょう。
けれどまずは悩むのではなく、強い意志を持って自分は何が出来るかを考えていきましょう。
ここまで述べてきた考えは、僕自身にも言えることではあります。
なので反面教師的な気持ちの意味も含めてここまで書いてきました。
そして少しでも皆様の心や感情が動き、より良くそして豊かな人生を歩んでいける手助けになれたなら幸いです。
次回の内容も今回のような、皆様の手助けになれるような内容にしていきたいと思っています。
次回の更新は明日です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。